明けましておめでとうございます! 何年ぶりかの初詣にて、御殿場の由来を再確認。

新年、明けましておめでとうございます!

何とか年内に二台分のタイヤ交換を終え、

新しい年を迎えることができました。

さて、新年のスタートは、ウチから徒歩5分、「高尾山穂見神社」に初詣でに参ってきました。

御殿場の初詣でというと、除夜の鐘の音源・平和公園も知られていますが、近所なので・・・。

夏祭りの1日目と、毎年11月末にある高尾祭をやっている神社、といえば、御殿場市民の方は何となく分かるのではないでしょうか。

元旦に初詣でに行くのは、何年ぶりだかわからないくらい久しぶり。12時過ぎのこの時間に、きちんと初詣での対応をしてくれていること自体の認識もなかったです(汗)

お参りを終えると、すぐ横のテントでは・・・

御殿場区の婦人会の方々と、氏子総代を務められていた方々による、焼き餅と甘酒の振る舞いが♪ほっこりします♡

境内には、こんな石碑も。

徳川宗家18代・徳川恒孝さんの書だそうです。

「東照宮」とは、徳川家康を祀る神社のこと。日光が有名ですよね。諸説あるようですが、家康の亡き後、幕府が遺言に従って遺骸を静岡の久能山に運び、東照宮を創建したのが始まりで、その1年後に日光に改葬されたそうです。

東照宮(とうしょうぐう)とは、東照大権現たる徳川家康を祀る神社である。

Wikipediaより引用)

この「御殿場東照宮」は、高尾山穂見神社に隣接している「吾妻神社」を指しています。ちょっと気になって調べてみたら、御殿場という地名は、ここ吾妻神社が発祥なのだそうです!

もともと御厨(みくりや)と呼ばれていたこの地に、徳川家康が晩年の居城とした駿府城(静岡市)から江戸に行く際に宿泊するための御殿を造営することを命じたそうですが、実際に完成した御殿は使われることなく家康は亡くなってしまいました。

御殿造営に伴い、御殿を中心として新しく町が建設されることになり、各地から人々が集められ、この新しい町は御殿新町と称されるようになり、「御殿のあった場所:御殿場」が、御殿場市の名前の由来になっているそうです。

元和元年(1615)大阪夏の陣で豊臣氏を滅ばした徳川家康は、駿府から江戸への交通路を整備し、江戸往来の宿泊のための御殿地を物色し、当地を選んだ。翌元和2年(1616)4月家康は薨去されたが、幕府代官長野九左衛門清定は、当地の土豪芹沢将監に「御殿新町の御屋敷造営を滞りなくすすめること」を命じている。

この御殿跡に鎮座する吾妻神社には、東照権現(家康公)をはじめ五神が祭られている。神社には徳川慶喜公直筆の扁額が奉納されている。

御殿場市ホームページより引用)

この神社は小さいころにそんなことは知らずによく遊んでいた場所でもあって、この歴史については何となーーーく聞いたこともありましたが、オトナになってふと気になって調べてみると、深い歴史を再確認することとなって、ちょっと驚きでした。

久能山も日光も、非常に長らく行っていないなぁ・・・改めて歴史探訪に訪れたくなりました!てか、徒歩5分の場所だし、来年もきちんと初詣にいかなきゃな・・・(-_-;)

そんなわけで、本年もどうぞ宜しくお願い致します!

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