アンコールワットと初対面!遺跡群を巡って感じたアレコレ。

・・・というわけで、カンボジア・シェムリアップへの到着翌日。現地ツアーに申し込んで、まずは若干曇り気味ながらも、アンコールワットとさっそく対面してきました♪

記憶に残っているうちに、旅行の記録をブログに書いちゃいたいと思います♪

朝4時に起きてまず向かったのは、チケットセンター。アンコールワットは、入るのにチケットが必要で、1日券でひとり37ドル。昨日カンボジア入国時は空港でビザを取得する必要があり、それが30ドル。なんか外貨を獲得されてる感がありますが、まー仕方ないッス。

(ちなみに、カンボジアの通貨は「リエル」ですが、USドルがふつーに使えます)

「アンコールワット」と一言に言いますが、アンコールワットは「アンコール遺跡群」のうちのひとつ。12世紀前後の王が建てた寺院やお墓です。このエリアには多数の遺跡が点在しています。現地ツアーでは、それらを効率よく回ってきました。

ただ「ココに行きましたー」ってだけだとただの旅行記なので、それぞれ行った場所で個人的に感じたポイントを中心に書いていきます!

1.やっぱり、スケールがデカい!

「アンコール・トム」の中心寺院・バイヨン遺跡

アンコール・トムはアンコール遺跡群の代表格のひとつです。

朝のアンコールワットでも感じましたが、日本とは違う石造りの遺跡は、重厚感があります。

「クメールの微笑」と称される石像

173ものご尊顔が立ち並ぶこの空間は、神々の世界といった空気。

単体の大きさだけで言うと奈良の大仏のほうが大きいかもしれませんが、

この囲まれ感は非常に独特で、スケールの大きさを感じました!

2.完全な形で保存されていないからこその見ごたえ!

「タ・プローム遺跡」

アンコール・トムを建立した王様・ジャヤヴァルマン7世が母のために建てたという。ここは、発見当時の姿を残した状態で保存されています。

何がすごかったって、「自然の生命力」!

巨大な木が成長とともに建造物に絡みつき、ガッチリ根を張っています。木の根が遺跡を潰しにかかっているかのような迫力でした!

実際、木を排除したら、遺跡が完全に崩れてしまうんだろうな・・・。逆にこの状態で保存をされているからこそ感じる神秘さのようなものがありました。

3.400年前に、日本人がこの地に来ていた!

アンコールワット内部を訪問中、ガイドさんが教えてくれました。

この落書き、1632年にココを訪れた日本人・森本一房さんが書いたものなんだそうです!

インドのお寺を目指していたはずが、勘違いしてココにやってきてしまったそうな。

間違いがあったが故ではありますが、鎖国中の日本でこの地までやってきたというのは相当な苦労があったことでしょう・・・。

4.日本の歴史と比べて、世界の広さを改めて実感。

アンコールワット内 第一回廊の壁画

「乳海撹拌」という、ヒンドゥー教の神話が彫られています。

石作りの寺院、自然の力強さ、神話のスケールなど、日本の平安時代にこの地でこんな文化が花開いていたという歴史・文化の違いを目の当たりにして、改めて世界は広い!!って思いました。

5.ところどころで感じる、カンボジアの悲しい歴史

破壊が進んだ石像たち

アンコール遺跡群には、このように崩れてしまった状態の石像が多々見られます。

これは、1972年からの内戦時、ポル・ポト率いる「クメール・ルージュ」によって破壊され、仏像が首を刎ねられたりなどの蛮行を受けたのだそうです。

1979年にクメール・ルージュは政権を追われるのですが、アンコールワットはお堀や城郭のようなものがある構造で立てこもりやすかったのでしょうか、アンコールワットに立て籠り、内部の破壊が進んでしまったのだとか・・・。

夜に観た、カンボジアの伝統的な踊り「アサプラダンス」

なかなか艶めかしいアサプラダンスですが、クメール・ルージュ政権下で行なわれた文化人・知識人の迫害の影響を受け、消滅の危機に陥ったそうです。

現在は復興し、こうやって鑑賞することができるのですが、ちらほらと垣間見えるカンボジアの悲しい歴史も垣間見えます。

内戦時に大量に置かれた地雷の撤去に時間がかかったりもあり、昨年訪問したベトナムに比べると、経済発展もこれからという印象でした。

こんな歴史もありつつ、現在は経済発展を推し進めるカンボジア。カンボジア人の印象は笑顔が多くてとっても良かったので、陰ながら応援したいなーと思います。

では、今日はここまで!

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